企業紹介


会社概要

沿革

いきなりですがショートストーリーです

小さな頃からウチはなんで茶碗屋なんだろうと不思議に思っていました。ともだちにも説明できないですし、時代遅れの古い商売だなと思っていました。

そんな時、たまたま本棚にあった古い本をパラパラ読んでいたらご先祖様のことが書いてありました。とてもおどろきました。

ずいぶん詳細にご先祖様のことが書いているではありませんか。ようやく納得がいきました。

奉公先での御縁がいまにつながると思うと感慨深いです。ご先祖様が焼物作りに興味がなく、そのまま奉公を続けていれば、当社はどうなっていたのでしょうか?

暇つぶしに読んで頂けれは幸いです。


参考文献

二羽弥 編『九谷焼330年史』寺井町九谷焼資料館発行、1986年。


埴田の太吉 ( 山元太吉)


太吉は子どものころ、 十村役田中勘太郎のところへ子守り奉公にでた。 子守りだけでなく、 家の中やめぐらの掃除もさせられた。

そのころ、 前田殿さまは下じもにも焼物の製造をすすめていた。下じもといっても、 いわゆる土百姓ではなく、役人くさい連中に教えたのである。 隣村三宅野の十村へも、お庭窯の先生が藩の命令でやってきた。


太吉は背中にねんねをおんぶしながら、まき割りをやらされた。おかげで焼物作りの様子をつぶさに眺めることができた。 子守り奉公 よりも焼物作りの方がずっと面白いなあと思った。


そこで、主人に暇をくれと願いでた。 しかし、いくら頼んでも暇はもらえない。とうと うしびれを切らして十村役の家から逃げ出て小野窯の手伝いをすることになった。経営者塚野善太夫のころである。ここで4年間陶工見習いの修業をして本江窯へ移る。


本江での働きぶりは抜群で、たちまち親方の信頼をえて、釉薬の調合まで教えてもらえ るようになった。その後さらに9ヶ年も小松の窯元松村屋で研究を重ね、ついで佐野の斉田伊三郎の要請で、中川源左ヱ門らと協力して佐野窯の築造に従事していたりして5ヶ年間も滞在した。


そのうち、 生まれた在所埴田へ帰って独立しようと願い書きを十村へ出した。 しかし、 なかなか許可が下りない。 当時は年令30才にならなければ営業許可は下りないのだが、太吉はすでに30才をとうに越している。太吉はみずから十村役へ頼みに行った。


ところが、お前のような奉公先から逃げて出た者はだめだとのことである。 太吉はそこ で直接寺井の役所へ直訴したのである。寺井の役所へは太吉の出した願書は出ていなかっ た。 十村役は太吉の出した願書を破って捨ててしまっていたことがわかった。 十村役は役所から大目玉をくらった。


このようにして、ようやく自力で営業できるようになったのは、太吉38才の文久3年であった。


めでたしめでたし



九谷焼とは

歴史

九谷焼の大皿の画像です。豪華な感じです。

九谷焼とは、石川県南部の加賀市,小松市,金沢市,能美市で生産する陶磁器です。 伝産法に基づく伝統的工芸品に指定されております。
17世紀の半ば頃、大聖寺藩(石川県)の領内にて、良質な陶石が発見されたことにより、藩主前田利治公の命によって磁器の生産が始まりました。
陶石の産地となった九谷村に、磁器を焼くための窯を築いたことで、その地名にちなんで「古九谷」と呼ばれました。 古九谷は加賀百万石文化の、大らかさときらびやかさを合わせ持つ、独特の力強い様式美を作り上げましたが、17 世紀の終わり頃、突然作られなくなってしまいました。廃窯の理由は諸説ありますが、真相はいまだ謎に包まれております。
その後、19世紀に入ると再び九谷焼が焼かれるようになり(再興九谷)、木米風、吉田屋窯、永楽窯等数多くの窯が特有の画風を作り出し、現在に至っております。

 

引用元

● 伝統的工芸品 - 経済産業省

● 石川県立美術館のホームページ

● 石川県九谷焼美術館のホームページ

 

・伝産法(伝統的工芸品産業の振興に関する法律)について

「一定の地域で主として伝統的な技術又は技法等を用いて製造される伝統的工芸品」の「産業の振興を図り、国民の生活に豊かさと潤いを与えるとともに地域経済の発展に寄与し、国民経済の健全な発展に資することを目的」としています。

 伝統的工芸品は、我が国の伝統的工芸品産業は、伝統的技術・技法を伝承するとともに、国民生活に豊かさと潤いを与えてきた産業であり、地域の資源・技術を基盤に、もの作り産業を形成し、長い歴史・風土の中で培われ、地域経済の発展と、雇用の創出に貢献しています。

 このため、経済産業省の支援は、その文化性に着目した技術・技法の保護・保存をすることのみを目的とせず、伝統的工芸品産業を産業活動として維持・発展することに主眼を置き、支援を行っています。

 工芸品の産地組合等からの申請に基づき、指定要件を満たすものを経済産業大臣が「伝統的工芸品」として指定します。指定を受けた産地では、振興計画を作成して経済産業大臣の認定を受けた後、その振興計画に基づいて事業を行うのに国から補助を受けることができます。

伝統画風1古九谷(こくたに)

伝統画風古九谷を紹介するための画像です。アップで撮影しています。

狩野派の名匠・久隅守景の指導を受けたといわれるもので、青(緑)・黄・赤・紫・紺青の五彩を使い、絵画的に完成された表現力で大胆な構図、のびのびとした自由な線描き、豪快で深い味わいが魅力となっています。五彩のうち赤を用いず、塗り埋める青手もあります。

引用元

● 能美市九谷焼美術館のホームページ

 

伝統画風2 木米(もくべい)

伝統画風木米を紹介するための画像です。アップで撮影しています。

古九谷が廃窯されてから約百年後、加賀藩営で金沢に春日山窯が開かれました。京焼の名工・青木木米の指導により、全面に赤をほどこし、人物を主に五彩を使って描き込んであります。 中国風の上絵といえるでしょう。

 

伝統画風3 吉田屋(よしだや)

伝統画風吉田屋を紹介するための画像です。アップで撮影しています。

青手古九谷の塗り埋め様式を再興したもので、赤を使わず青(緑)・黄・紫・紺青の四彩を使っています。模様のほかに小紋を地紋様風にして、器物全面 を絵の具で塗り埋めた、重厚さのある 作風で独特の雰囲気があります。

 

伝統画風4 飯田屋(いいだや)

伝統画風飯田屋を紹介するための画像です。アップで撮影しています。

赤により綿密に人物を描き、その周りを小紋などで埋め尽くし、所々に金彩を加えてあります。一見して言葉では言い表せないほどの赤絵細密描画です。

 

伝統画風5 永楽(えいらく)

伝統画風永楽を紹介するための画像です。アップで撮影しています。

永楽和全による京焼金襴手手法で全面を赤で下塗りし、その上に金のみで彩色した豪華けんらんな作風とともに、京焼風な洗練された美しさをみせています。

伝統画風6 庄三(しょうざ)

伝統画風庄三を紹介するための画像です。アップで撮影しています。

古九谷・吉田屋・赤絵・金襴手のすべての手法を間取り方式で取り入れ、これらを和絵具に洋絵具を加え綿密に描き込んだ彩色金襴手です。明治以降の産業九谷の主流となった作風です。